他人を変えることはできない。 けれど常に生まれ変わる自分と出会える。


カイエダです。
以前「思い込み」についての記事を書いたことがあります。
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カイエダの幼少期からの辛い経験も書いているので、読んでいてキツくなってしまう方もいらっしゃるかと思います。
その点、ご注意ください。
上の記事でも書いた「思い込み」について。
思い込みを手放したことでわかった「変化する」ことについて、私なりの考えをこの記事では書いてみたいと思います。
ちなみに、私は心の専門家ではありません。
心理学の書籍は何冊か研究図書として読みましたが、かといってそれで専門家を名乗るほど自惚れてはいません。
ただ、心の専門家ではないものの、これまで生きてきた経験や学びによって、生身の人間の体験談をお伝えできるのではないかと思っています。
私が紆余曲折して生きてきた経験が、私のブログ記事を読んでくださるあなたの未来の決断に、何らかのお役に立てたらいいな、と感じています。
この記事の目次
人は日々生まれ変わる
- 歳をとったからできない、チャレンジできない……。
- あと10歳若かったら私も……。
私が何かにチャレンジしようとするときに、当時の知り合いはこちらが何も聞いていないのに「自分にはできない」と吐露してきました。
確実に「できない」という思い込みです。
やる前からわかるわけないのに。
とはいえ、チャレンジしないことを正当化して、変化しない選択をすることも悪いことではありません。
正当化しないと、その瞬間は生きていけないからです。
命を守るための必要な選択です。
もちろん、人は日々、変化し続けます。
年齢を重ねようと、スピードがおそかろうと、変化してしまうのです。
どうせ変化するんです。
だから、無理やり力技で変えなくてもいい!んですよ。
無理やり変えようとすると、反動で元に戻ろうとする力も強くなります。
私の場合は、偶然にも思い込みが外れたことに気がつけたこと、そしてその思い込みの正体を自分で解析できたことで、とても楽になりました。
思い込みは自然となくなっていることもあります。
大体は気がつきません。
できれば気が付いた方が、もっと気持ちが楽になれますし、変化が怖くなくなります。
なぜ楽になるのかというと、感覚的にも理論的にも脳みそ全体で理解できるからです。
自分以外の人を変えられない。変えられるのは自分だけ。
人は常に変化しますが、繊細な変化についてなかなか自分では認識できません。
実感が湧かないのです。
だから激的な変化を求めて無理な行動に出ることもあります。
高額な起業塾に投資したり、未来がわかるという人に依存したり。
いくらお金をつぎ込んでも、結局、行動して未来も変えられるのは自分自身でしかありません。
経験でわかったこと。
それは他人を変化させることはできない、ということです。
変化をアシストしたりサポートすることは可能です。
ですから、どんな力技を使っても、人に頼っても、人のせいにしても、他人があなたを変えることはできません。
自分自身が変化を覚悟して意識して行動しない限り、他人は手出しができない領域なのです。
これはコンサルタントという仕事をするようになって、否が応でも体験しました。
お恥ずかしい話ですが、私は、お客様を変えられる!変化を促せる!とおこがましくも思っていたのです。
しかもお客様も「変わりたい」というお気持ちで私にご依頼くださるのですから。
ところが。
たくさんのお客様と接してわかったのは、変えられると思い上がっていた私は、とても浅はかだったということでした。
自分が腑に落ちない限り、人は次の行動に移れません。
私ができるのは、その人にとっての最善の策を、いかにわかりやすくお伝えし、心の底から理解していただいて、変化する自分や自分の未来にときめきを感じ、ワクワクと興味をもち、一歩を踏み出すための「後押し」をすることだけなのです。
無理に自分を変えなくても、自然と「思い込み」は手放せる。
大事なのは、手放した自分に気がつくこと。
私が
自分を変えられるのは自分だけ
という思いに至ったきっかけは、つい最近手放した「思い込み」を理解したからです。
自覚しているのですが、私はとても「好み」に偏りがあります。
ここで小さい頃からの「好み」「嗜好」を、ここ最近好きと思う気持ちがなくなっていると、最近気がついたのです。
手放した好みは2つあります。
手放した好み
- いわゆる典型的なダーティーな海外のロックスターが好きだったけれど、まったく興味がなくなりました。
しかも好きになるロックスターはほぼヤク中・アル中で太っているおじさんでした(なぜ…w)。
いかにも、なわる〜〜いロックスターが好きだったんです。 - 煌びやかなドラァグクィーンの文化が好きだったけれど、こちらも興味関心があまりなくなりました。
ドラァグクィーンとは、女装家さんのこと。
ロック(特にヘヴィメタル)は中学生の頃から好きでしたし、ドラァグクィーンのお姉さんたちは、「プリシラ」という映画を通じて最初は知りました。
ロックは自分の外見にまったくそぐわなかったけれど(ああいうかっこよさが身につかなかった、、、)ずっと好きでした。
ドラァグクィーンの存在は割と昔から知っていましたが、しれば知るほど好きになり、たくさんの活躍するクィーンがいるアメリカでは勝ち抜きのリアリティ番組があると知り、本場のアメリカの放送局と直接契約をしてそのリアリティ番組を見ていたほどハマっていました。
もちろん時間が経って、好みや趣味が変わる、ということはよくある話。
ですがこの好みや趣味が「思い込み」の力によるものだったと気がつくと、とても解放された気持ちになりました。
それでは
- ロックスター
- ドラァグクィーン
は、それぞれ私のどんな思い込みの象徴だったのでしょう。
外れた2つの思い込み
1つ目:ダーティーで危ういものへの憧れ
アル中・ヤク中の海外ロックアーティストにハマってしまう背景には、父親の存在が大きいのではないか、ということが今はわかっています。
父は現在70歳を越えていますが、今も現役の職人です。
若い頃は気難しい無口な人でした。
もちろんアル中・ヤク中ではないですよ……。
「THE 職人」という感じです。
父は太ってはいなくて、むしろ痩せているけれど筋肉はちゃんと付いている細マッチョでした。
そんな父は、あまり家庭環境に恵まれていませんでした。
15歳で家出をして、寮のある会社に入り、職人として腕を磨いていった、叩き上げの人です。
今思えば、ひとりっ子でありひとり娘の私は、愛情表現の下手な父に、実は大切に育ててもらってきたんだと今ならわかります。
とはいえ、若い頃の父は、お酒に酔っては暴れるし、母に手はあげるし、私もかなりの力で殴られることがありました。
褒められた記憶もありません。
どの子供もそうだと思うのですが、例外なく私は感受性の強い子供でした。
嫌悪する父の姿の中に、なぜか父の弱さも感じ取っていました。
問題行動の多いロックスターという偶像と、父を重ねていたのではないかな、と思います。
なんでしょう。
完璧ではない、ダメな大人が愛おしかったのです。
私にとっては、愛すべき対象でした。
ただ筋肉のある男性は怖かったです。
筋肉イコール暴力だったのでしょう。
力が強そうで。
実際父は力が強かったので。
父が母を殴ったり、私を殴ったりする暴力シーンを、子供の頃何度も見たり経験したので、体がそのショック性や痛みを覚えていたのでしょう。
だからなんだか柔らかそうな(実際はそんなことないのかもしれませんが)、どちらかというと太ったおじさんのファンになることが多かったです。
今はまったく興味ないんですけど。
父は言葉で愛情表現ができるような器用な人ではありませんでした。
ロックスターへの憧憬は、父からの愛を確認したいという私なりの表現だったのでしょう。
父の不器用な愛情を、私自身が、受け取るには子供すぎたのかもしれません。
つい最近、中学生の頃から好きなロックバンドのドキュメンタリー映画が公開され、ウキウキした気分で観たんです。
若い頃だったら「かっこい〜〜〜!」と感じていたであろう内容だったのでしょうが、私はその映画に対して嫌悪感しか抱けず、吐き気すら感じました。
吐き気をもよおす自分に心底驚いたと同時に、もうダーティーな偶像は私に必要ないんだと感じました。
父も歳をとり、とても穏やかになりました。
もうお酒も飲みません。
私のことを心配はしながらも、ひとりの大人として認めてくれています。
私自身、もう世帯を持って20年も経っていますから。
また私は今、ありがたいことに夫にとても深く愛されています(って自分でいうな、という感じですが)。
愛情に満たされた私に、もうロックスターの偶像は必要なくなっていたんです。
ロックは13歳くらいからとっても好きだったので、思い込みを手放していたことに気がつくまでに軽く30年以上かかっています。
今では、ずっと苦手だったスポーツにもどんどん挑戦したくなっていますし、自分自身の筋肉を増やすことにとても夢中になっています(笑)
筋肉の付いたしなやかな体を持つ人を「美しい」と心から言えるようになりました。
筋肉が怖かったのに、です。
美しい!と自分も思うから、その美しい肉体に自分も近づきたい!と思えるほど、私自身は変わりました。
2つ目:マイノリティとしての共感
ドラァグクィーンのオネエさんたちを好きになったのは、17歳の時に10万人にひとりという病気を罹患した自分と同一視したからだと思います。
つまり、オネエさんたちを、マイノリティとして生きる仲間だと勝手にシンパシーを感じていたのでした。
マイノリティは、社会の中で生きづらさを感じます。
私が初めて「マイノリティの洗礼」を受けたのは、就職活動の時でした。
▼詳しくはこちらでも書いています。
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ということで、スタートラインにすら立てない自分を、とても苦しく感じた時期がありました。
ショービジネスの世界に生きるドラァグクィーンのオネエさんたちは、踊りやお化粧、独特のファッションなど、とても勉強を重ね、努力もして頑張っています。
それはそれは健気に。
そのオネエさんたちから、私は元気を確実にもらっていたんですよね。
病気の苦しさ、辛さの記憶をないものにしていた
数年前、ドキュメンタリー番組で、自分と同じ病気を発病した男性が、ノーベル賞を受賞した科学者の先生たちとともに、新薬開発のために取り組む活動をしていると知りました。
その番組、たまたまテレビをつけたら放映していたのです。
夫と一緒に見ることにしました。
番組内で、男性は涙ながらに「将来子供たちに、自分が体験した苦しみを感じて欲しくない」と、自らの体験談を語っていたのを見て、私は突然堰を切ったように嗚咽し泣き出してしまいました。
一緒に番組をチラチラ見ていた夫もびっくり!
いえ、それ以上に私自身が一番びっくりしました。
なんで私はこんなに泣いているの〜〜〜!?と。
その時に気が付いたのです。
病気を宣告された時、私はどこか「他人事」のように感じていました。
そしてもう大人になっている今は、他人事ではないけれど、もう全然大丈夫、平気だと捉えていました。
もちろん、色々ありましたが、なんとか乗り越えてこれたし、自分はむちゃくちゃ強いな、と思っていたのです。
ですが……。
辛い経験や思い出をなかったことのように「記憶から消す」という事柄、てっきり漫画や映画の中だけの話かと思っていたのですが、自分も同じことをしていたようでした。
ドキュメンタリー番組を見て、とうとうその記憶の「蓋」が開いてしまったのでした。
17歳の私には受け止めきれなかった病気の宣告。
私は生きていくために、自分に起こっていることではなく、まるで他人に起こっているように錯覚させてきたんだということが40歳をすぎて理解してしまいました。
>>ただ、おかげさまで物事を俯瞰する能力や見る目を養うことにつながりました。
病気になったことで、声を出すほど感情を爆発させ大泣きすることなんて、思い出してみると一度もなかったのです。
40歳を超えて、初めて「辛かった」「切なかった」「苦しかった」という気持ちを「声をあげて泣く」ことで昇華させることができました。
感情を爆発させることは、とても必要な作業だということもわかりました。
若い私は、ものすごく頑張っていたんでしょう。
とても痛ましいです。
若い頃にきちんと辛い感情を自分で解放できていれば、また違った生き方をしていたのかもしれません。
ですが、おそらく感情を隠し「自分は病気で苦しんではいない、むしろ平気だ、病気はギフトだ、むちゃくちゃしぶとい、むちゃくちゃ強い」という「思い込み」があったから、私はこうしてこんなに元気に生き続けることができたのだと思います。
そしてもう、十分強く生きていくことができるようになったので、その「思い込み」が必要なくなったのでした。
それから、自分がマイノリティだという自覚をもつ必要がなくなり、「生きづらさ」をそこまで感じなくなっていました。
当たり前の話なのですが、私は私だからです。
どんな属性も付いていなくてもいい、ということがやっとわかりました。
まとめとして
無理やりインプットしていく必要もありません。
起業家として正解を求めて、あくせく努力しすぎることもありません。
誰それがやっているとか、うまくいっているとか、あなたには関係ないのです。
あなたにとって「うまくいく」とはなんでしょう。
人と同じである必要、まったくありませんよ。
自然と思い込みを手放すことによって、自ら変化でき、さらに成長ができるということも、ぜひ知ってもらいたいなと感じています。
ちなみに実はこの記事を書き上げるまでに2週間かかりました、、、。
自分の中では最高に時間をかけてしまったブログ記事です。
いかにわかりやすくお伝えするか、で構成を何度も変え、書き換え書き換えでようやく公開に至ります。
これからもさらに書き加えたり削除したりと、わかりやすい記事にして行きます!