「お母さん、お前と代わってやりたい」私が長年、自分への「思い込み」を手放せなかった本当の理由
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お母さん、お前と代わってやりたい。
17歳のときに、最愛の母の口から出たこの言葉は、その後の私の人生に大きな影響を与えました。

カイエダです。
この記事のテーマは、ブログ集客やマーケティングについて扱っていません。
ですが、ビジネスに本格的に取り組みたいのに、やろうと思っていることができなかったり、途中で「いいや」と流してしまうことが多い方には、お役に立つ内容となっています。
人は「思い込み」で生きている


ブログを書けないという方も、探っていくと心の問題があったりします。
かくいう私も、自分を決めつけてしまう固定概念「思い込み」を長年持っていました。
私は、自分はずっと「自分は健康になってはいけない」と思い込んでいたんです。

カイエダさん、見るからに健康じゃないですか!

よく言われます。
「自分は健康になってはいけない」「健康ではない」と17歳から44歳まで、思い込んでいました。
動画でもお話してみました。
動画のなかでは、長年私が、思い込みを手放せなかった本当の理由がお話できなかったので、こうしてブログに書いてみています。
健康であってはならないという思い込みを手放せなかった本当の理由とは
私は17歳・高校3年生で大病をしました。
あまりにも宣告が突然すぎて、まるでひとごとのようだったことを覚えています。
病名を告げられた日からさっそく入院し、病室のベッドで母がこう言ったんです。
お母さん、お前と代わってやりたい。
この言葉を、私はどう捉えたか。
私は生まれて初めて「愛されてきたんだ」「愛されていたんだ」と実感してしまったのです。
私は一人っ子でしたので、両親からは当たり前のように愛されていたのだと思います。
ですが両親は、「自分たちがいなくなっても、ひとりで強く生きていける子に育てなければ」という想いがあったようで、とにかく厳しく育てられました。
いちども褒められたこともなく、どちらかというと人前ではけなされて(見た目や性格をけなされました。謙遜していたのだと思います)、せっかんも頻繁にありました。
蹴る・殴るは日常茶飯事。
冬の長野で、裸足で外に立たされることもありました。
素直に泣きながら立っていたけど、大人になった今なら、裸足で怪我してもいいから逃げ出せばよかったのにな、と思います。
それもできなかったんですよ、子供は。
両親は絶対だから。
私も大きくなるにつれ、両親に対しては怒られたら言い返す子供になっていきました。
殴り返したりもしました。
勝てませんでしたが。
中学生2年生のときに、父に目のあたりを殴られ、大きな青あざになってしまいました。
それでも隠さずに学校に通いました。
クラス替えをしたばかりだったので、先生は「もともとあざが顔にある子かもしれない」と気を遣って聞けなかったそうです。
両親も若かったですし、今のようなネットもなかった時代です。
自分たちなりに、子育てに必死だったのだと今ならわかりますし、まったく恨んではいません。
そのように厳しく育てられたため、どこかで
- 私は生まれてこない方が、よかったのかも
- いないほうが両親は、幸せだったのではないだろうか
- 愛されていないんだ
- なんで私は生きているんだろう
そんな不安を抱える子供になっていました。
反動で逆に勉強はちゃんとやりましたし(両親が勉強しろ、と一切言わなかったので)、学校ではいい子でした(笑)
おかげで地元の進学校に通い、大学にも行き一人暮らしもしました。
そのお金もちゃんと両親が出してくれているんですから、愛されていないわけがないんです。
話を戻します。
一生の病気を抱えることになってしまった娘を目の前にして、母としてはつい「(病気になった私と)代わってやりたい」と、本心がポロっと出てしまったのでしょう。
それまで、大きな病気をしたこともなく体だけは丈夫だった私が、一生の病気を抱えることになり、はじめて母親からの愛情表現をリアルに感じたのです。
「愛されたい」「愛されていると実感したい」という気持ちから、「健康になってはいけない」「健康でないと愛されるらしい!」という変な図式がつながってしまったのでした。
どれだけ悲劇のヒロインぶっているんだ、と今になれば呆れますが、この「思い込み」はなかなか手放せず、相当やっかいでした。
また、今となれば、愛されたくて病気になったとしか思えないです。
というのも、発病した病気は10万人にひとりの確率で発生する病気。
遺伝性もなく、突然の発症でした。
わざわざそんなめんどうな病気になってまで(一生抱える病気になってまで)、私は母からの愛を確認したかったんだ、と……。
業の深さを思い知りました。
動画のなかでは「健康になってはいけない」という思い込みを、自然と手放せたとお話していますが、ここまでくるのに、本当に様々な出会いがあり学びがありました。
無理やり思い込みを外したわけではありませんが、私が「健康になってはいけない」という思い込みを手放せなかった理由、根が深かったんです。
「健康になってはいけない」という思い込みをはずせた理由は、はずれた今だと解析できます。
まず夫のおかげです。
19歳で出会った夫。
夫は私が「ほしい」ものを、すべてくれた人です。
それは「言葉」でした。
夫は19歳で出会って付き合い出したころから、もう25年以上経った今でも
- 愛している
- 好き
- かわいい
- ありがとう
- (これが一番多いけど)おもしろい
を毎日言ってくれます。
こんな「プラス」の言葉をたくさんくれる人です。
結婚するとき、夫はフリーランスライターで、まったく安定していませんでしたが、暮らしていくためのお金なんか、なくてよかったのです。
お金は、どうにかなるから(というか、なんとかしてきました私。おかげで今がある^^)。
私が元気なほうが、夫も喜びます。
夫を喜ばせたいので、私はもっと元気で健康になりたいです。
そしてお客様のおかげです。
お客様とも様々な出会いがあり、別れもありますが、どのお客様も私を慕ってくださいました。
私の存在を認めてくださったのです。
私のお客様の年齢は、40代後半から50代の女性が割と多いです。
もちろんお若い方もいらっしゃいますが、皆さま「大人」。
人生の酸いも甘いも経験されている方ばかり。
さまざまなご経験を積まれた上で、私と出会われ、ビジネスを基盤を一緒に作っていきます。
私は深くお話させていただくと、どんどんアイデアも出てきて、デザインも降りてくるタイプですので、お客様たちとの「会話」を重要視しています。
私が健康であることを喜んでくださるのは、お客様です。
健康でばりばりがんがん仕事をしたほうが、お客様に貢献・還元できるじゃないですか。
ですから健康でありたい!!!と積極的に思えるようになりました。
最後に、両親のおかげです。
私が健康であることを喜んでくれる両親に、私がやっと気が付けました(遅い……)。
孫の顔を見せることができない私ですが、それについては何も言わない両親。
おそらく田舎では「孫」について、とやかく言ってくる親戚・ご近所などの外野がたくさんいるでしょう。
そういった外野についても何も言わない、謙虚で我慢強い両親。
こどものころから本当は、私のことを認めてくれていたのに、私は随分、回り道をしました。
両親を怒らせたり、辛い環境をつくって自分を痛めつけてきました。
こんどは私が両親を守っていく番です。
だからこそ、元気でいた〜〜い!と強く思っています。
かなり長文になりました。
私は特に自分の過去を隠すこともないので、かなりあからさまに書いてしまいましたが、両親から蹴る殴るなどの表現は、多少きついと感じる方もいらっしゃるかと思います。
そう感じさせてしまったら、ごめんなさいね。
最後に
どんな過去があっても、どんなあなたであっても、今そしてこれからを生きていくことが一番大事ですし、あなたに求められていることです。
私は○○だから、△△できない……
それは過去のあなたであって、今これからのあなたではありません。
いろいろ道に迷って、動けなくなったとしても、自分を責めたりしないでください。
未来のあなたを信じてください。
私も(今年45歳になる、四捨五入するとアラフィフの私ですけれど)未来の私を信じています!
きっとまだまだできることあるって(笑)
諦めずに、少しずつでも、前に進んでいきましょうね。
私もチャレンジしつづけまーす!