震災13年、3月11日に戻る原点

エッセイ

まずい!
薬……!
いま、手元に薬がない!

2011年3月11日午後2時46分。

「あの」地震のとき。

渋谷で、体験したことのない大きすぎる揺れのなかで、薬のことしか私の頭によぎりませんでした。

薬が手元にないということは、命の存続危機を意味していたからです。

私は10代のころから内臓疾患を抱え、朝、昼、夕、寝る前と薬を投与する必要がありました。
それは一生終わることのない、私の習慣であり、薬とは一生の付き合いなのです。

なのに……。

東日本大震災発生時、私は必要な薬を持たずに、仕事で外出していました。

迂闊だったのです。

命の存続危機が訪れるなんて夢にも思っておらず、過信していたのです。
いつもどおりの時刻に、いつもどおりの電車で、自宅に帰れると思って。

結局、その日の晩は、勤務先の会社で夜を明かすことになりました。

交通もシャットアウトされ、帰宅難民でごった返す街の中。

余震が続き、歩いて帰るほうが危険と感じられるほど、道という道は「カオス」そのものでした。

地震発生から4時間後。

私は自分の足で歩いていける病院へ行って、薬を処方してもらおうと決意しました。
自分が倒れるのを待つよりも、それが最善と考えたのです。

「病院に行きたい」
「自分が動けるうちに、薬を手にしておきたい」
「薬がないと、生きていけない」

私が、常に気を張って、薬さえ最低限携帯していれば、こんな事態にはなりませんでした。

私が必要とするのは、健常な人に投与すると危険なホルモン剤。

該当する薬が確実においてあるのは、簡易的なクリニックでも町の薬局でもなく、大きな病院でした。

帰宅難民でごった返す246号線を逆行し、心配してついてきてくれた同僚とともに、私は救急病院でもある日本赤十字病院を目指しました。

病院には、片道40分。
必死で窮状を訴え、薬を処方してもらえました。

結果、私は、ことなきを得ました。

この経験から、私はその後、ちょっとでも自宅から出る場合は、薬をすべて携帯するようになりました。

日常暮らしていると、すべてのことが「当たり前」に感じてしまいます。
当たり前に、何の疑問も抱かなくなります。

ただこの当たり前は、非常に「有難い」状況であるということを、忘れないようにしたいです。

2011年3月11日。
あなたは何を想い、何を学び、何を感じたでしょうか。

震災を過去の思い出にしてしまってはいないでしょうか。

このお話をするのは、あまり公表したくないプライベートな内容も入っているため、迷いましたが少しでも参考になることがあれば、と書いてみました。

「喉元過ぎれば熱さ忘れる」状況は、いつだって起こり得ます。

油断は禁物です。

2024年3月。

東日本大震災から13年が経ちました。
命に、きちんと責任を持とうと決めた日に。

カイエダ ミエ



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