【ピースフル・マーケティング前日譚】諦めてきた私が、「静かに届ける力」に気づいた日

2025年4月1日あなたを選ぶ理由創り,ピースフル・マーケティング

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【ピースフル・マーケティング前日譚】諦めてきた私が、「静かに届ける力」に気づいた日
カイエダ

カイエダです。
「ピースフル・マーケティング」について少し話してきましたが、その発想に至るまでのストーリーを残しておこうと思います。
手放すことで見えてきた、私の「発信のかたち」です。

「届ける」という行為が、私を生かしてくれた

人生には、自分ではどうにもならない「諦めなければいけないこと」があります。
私の人生で、おそらく一番大きなそれは、母親になることを諦めたことです。

何度も迷い、何度も打ちのめされ、それでも選択せざるを得なかった。
自分で決めたことでした。

その決断のあとで私は気づいたのです。

私はもう、誰かを生むことはできないけれど、
何かで誰かの役に立つことは、まだできる。

その瞬間から、私にとって「働くこと」は、ただの「仕事」以上の意味を持つようになり、生きる支えになりました。

何度も諦めた。その経験が「静かに続けられる場所」を見つけた

何度も諦めた。その経験が「静かに続けられる場所」を見つけた

体の限界が、未来を閉じた

私は17歳で大病を患いました。
周囲の、同年代の健康な子たちは信じて疑わなかった「輝かしい未来」が、私には閉ざされてしまった、と正直思いました。

自分が夢見てきた職業にチャレンジする道も、怖くて進めなかった学生時代。
それでも大人は働かねば!と奮起した就職活動では、体が弱いことで今でいう「パワハラ」面接受け、心も傷つけられた経験をしてきました。
自由に旅することもできず、体力と心のバランスを抱えながら、「生きることそのもの」に、私はいつも「工夫」が必要でした。

「母になること」は、努力では越えられなかった

それでも、私は子どもを望みました。
どんな形でも、母になりたかった。

でも、現実はそう甘くありませんでした。

  • 医師から「妊娠したら半年は入院しないといけない」と告げられたこと
  • 当時、私は家計を支える大黒柱として働き続けていたこと(その責任が嬉しかったし充実していました)
  • 仕事を辞めれば、本気で生計が成り立たないこと(絶対に親には言いたくなかったし頼りたくなかった)
  • 自分の命がなくなってもいいから、子供を産みたいという勢いになっていた私を、夫が「子作りには協力しない」と強い姿勢で制止したこと(夫も子供は欲しかったはずなのに😭今考えれば、随分と酷なことをさせてしまいました…)

私は、ひとつの命を願いながら、命をかけても叶えられない現実に直面しました。
そして38歳のとき、夫と話し合い、静かに「母になること」を諦めました。
また、チャレンジすることもなく諦めたのです。

諦めたあと、心が崩れていった

それからの数年は、想像を超える苦しさでした。

  • ストレスによるホルモンバランスの崩れで、5~6年不正出血が続く
  • 学生時代の友達全員と縁を切った。とてもじゃないけれども会える心境ではなかった
  • 駅のホームで、何度も線路に吸い寄せられる感覚になった

ある意味死ぬことは、怖くなかったんです。
ずーっと病人として生きてきて、もういいや…と思うことは、当時も今もあるので。

誰にも話せず、どこにも気持ちを預けられず、それでも、私は踏みとどまりました。

私を引き留めたのは、「仕事」だった

線路に吸い寄せられそうになったとき、

…いま、仕事を任されている。
中途半端なままだと迷惑がかかるから、せめてこの仕事が終わるまでは頑張らないと。

その瞬間、私は「戻ってこれた」のです。

届ける相手がいる。
役割を持っている。

まだ、やることがある。

それが、私が生きていける理由になりました。

やがて私は、「静かに届ける」というやり方を選んだ

無理な営業はできない。
SNSの交流も、頑張ったけれども、体調を崩してしまうほど本当は苦手。
でも、言葉なら。
ブログなら。
整えられるデザインなら。

人とつながれる「静かな場所」なら、私は届けることができる。

そうやって、私は「ピースフル・マーケティング」という在り方に出会いました。


ある日、とあるお客様からメッセージをいただいたんです。

以前読んだ記事、ずっと忘れられなくて保存してあります。
何かあった時、いつも戻って読み返しています。

私は驚きました。

でも——見てくれていた。感じてくれていた。

届いていた。


静かな場所で、じっくりと育まれていた信頼の芽でした。


 

無理やり共感したふりをしなくても。
見せかけの友情で自分を取り繕わなくても。
世の中でもてはやされる、時代の寵児ではなくても。

「じぶんの言葉で、じぶんのやり方で、想いを届けていい」という考え方に、私は行きつき、救われたのです。

諦め続けた私が、それでも生きて届け続ける理由

諦め続けた私が、それでも生きて届け続ける理由

母にはなれなかったけれど。
何者でもないけれど。
私は今も、誰かの背中をそっと押す仕事をしています。

自分の経験を“武器”にする気はないけれど。
それでも、この人生があったからこそ、静かな優しさを持てるようになったと思っています。

だから私は、今日もこうして書いています。
そっと誰かに届くように。
無理のないやり方で、わかりやすく。
確かに伝わるように。

そして、もしあなたが——。
「やさしいやり方では、戦えないんじゃないか」と悩んでいるのなら。
私はこう答えます。

やさしくても、想いを紡いだ言葉には力があります。
静かに届ける方法は、意外といっぱいあります。

私は、それを信じて生きています。

まとめとして

人生は、思い通りにいかないことの連続です。
でも、その中で「それでも私はこう生きてきた」と言える瞬間があるなら、それは、確かに誰かの灯りになります。

余談として:「諦める」には別の意味もある

現代的には、ネガティブに感じられがちな「諦める」という言葉ですが、本来は仏教由来のポジティブな智慧を含んだ表現です。

仏教では「諦める」という言葉は、「諦(たい)」という漢字が使われ、「真理を明らかにする」「物事の本質を見極める」という意味があります。
つまり、「物事の真理や本質を深く理解し、それを受け入れること」のようです。

  • 本質や真理を「あきらかに見る」
  • 執着を手放し、心を解放する

このように、視点を変えると非常に深い意味を持つ言葉なのです。
だからと言って、なんでも途中で投げ出していい、というわけではもちろんありません。
ですが視野を変えて考えてみると、これまでしてきた後悔も、もしかしたら違う捉え方ができるかもしれません。

今すぐできること

「過去に諦めたこと」と、「それでも今、続けられていること」をノートに書き出してみてください。
あなたの人生にしかない「言葉の根」が、そこに眠っているかもしれません。

カイエダ

私は今でも、自分の人生をきれいに言い切ることはできません。
でも、そういう言葉を持ったまま、今日も文章を書き、デザインをし、届け続けています。
それが、私の“静かな力”です。

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