高野悦子を知っていますか?未熟、孤独がテーマの『二十歳の原点』をアラフィフが読んでもグッとくる。
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カイエダです。
この記事では、私が高校2年生のころ手に取った本『二十歳の原点』(高野悦子・著)を再読して感じたこと、今に活かせること、そして大人になったあなたに伝えたいことを記しています。
気になった方はぜひ読んでみてくださいね。
この記事の目次 [表示]
二十歳の女子学生のみずみずしい記録
高野悦子の書いた『二十歳の原点』は、高校2年生の終わりに読んだ本です。
何度も再読しています。
主人公の高野悦子は、学園闘争高揚期の1960年代後半の揺れ動く、激動の時代に立命館大学文学部史学科に入学し、大学生となります。
若い感性で、みずみずしい文章でつづられた彼女の日記は、理想と現実のはざまで揺れ動き、そして孤独の中で自ら死を選んでしまった繊細な青春の記録です。
独りであること、未熟であることを認識の基点に、青春を駆けぬけていった一女子大生の愛と死のノート。
学園紛争の嵐の中で、自己を確立しようと格闘しながらも、理想を砕かれ、愛に破れ、予期せぬうちにキャンパスの孤独者となり、自ら生命を絶っていった痛切な魂の証言。
明るさとニヒリズムが交錯した混沌状態の中にあふれる清冽な詩精神が、読む者の胸を打たずにはおかない。

Amazonを見てびっくり!したのですが、今ではコミカライズされていました(漫画化)!!!
文庫で買うより多少お高いですが、すっと理解するには漫画もオススメかもしれません。
私は高野の本に関しては、文章で行きたい派です^^
孤独は人を苦しめる
高野の著を手に取った17歳の私は、著者と年齢が近く、内容に衝撃を受けました。
高野悦子は高校生のころに心臓の病を患い、真剣に取り組んでいた部活動を断念することになります。
ちょうど私自身も18歳になる手前で大病をし、かなり人生を左右された、ということも、共感してしまった大きな理由でした。
高野自身はその後、大学へと進み、恋愛に悩み学業に悩み、そして学生運動と携わる中で深く悩みのそこに沈んでいきます。
最終的に「未熟であること」「孤独であること」が自分の二十歳の原点だと表し、命を断つのですが。
死を選ばざるをえなかったのは、ひとえに「孤独」であることが大きく影響していたのだと思います。
もし彼女に心から思いを打ち明けられる親友がそばにいたら?
もし彼女に寄り添ってくれる恋人がいたら?
きっと死を選ぶことはなかったのではないかと感じるのです。
死という選択をしなかった私は
高野悦子の著に影響を受けながらも、私は一応、前向きに生きてこれました。
それは私自身が、高野ほど弱くなかったということ。
そして私には一切、「死」という選択肢が湧いてこなかったからです。
もちろん、10代後半から20代前半は、私にも辛いことが起こりました。
先述したとおり、大病したり。
また体が弱いという理由で就職差別を受けたりなど。
考えすぎて毎晩泣いていました。
もっともっときつく辛い経験をされた方は大勢いるでしょう。
若いころは、なかなか自分に起こったことだけで頭がいっぱいになってしまいます。
うつわが小さい、んですね。
自分はいいほうだ、なんて思う余裕すらありません。
そして辛いことを切り捨て、忘れてヤケになれるほど、ゆとりもなかった私は、ただただ真正面から辛さの壁にぶつかっていき、倒れるのみでした。
大人になった今ならば、いろいろな道を考えられたと思います。
逃げてもいいですしね。
別に。
誰に責められることがあるでしょうか。
自分の人生です。
私は、どんな壁にぶちあたっても「死にたい」という気持ちよりも「こんな状態で死んでやるもんか」の気持ちのほうが、とても強かったことを覚えています。
自分が二十歳を迎えたとき、正直少し怖かったです。
この1年で、私が壁を打ち破れず、高野と同じ選択をしてしまう未来がくるのかもしれない、と、今にしてみればどうでもよい思いがふとよぎったからです。
二十一歳の誕生日を迎えたとき。
私は高野悦子に心の中で「私は二十一歳になったよ、未熟だし、孤独ではあるけれど、私は生きてみるよ。生きていくよ」と宣言しました。
そのまま私は今、高野悦子が死を選んだ年齢よりも倍の年数を生きています。
再読して新たに湧いてきた想い

残念なことをお伝えしますけれど……。
40代後半になって、もうアラフィフのクソババアになった今でも、お恥ずかしながら未熟だし孤独です。
ええ……。
未熟さは、こんな大人になっても日々痛感しています。
ですがこれは、私は「よいこと」と捉えています。
自分に未熟さを感じなくなってしまっては、学ぶ意欲をなくすためです。
自己卑下することはよくないですが、自分の心に素直に、謙虚に学び続ける姿勢は大事ですから。
いっぽうで、「孤独」は……。
愛してくれるパートナーがいて、まったく状況は違いますけれど、孤独は変わらないですよ。
なぜなら、誰も私の人生を代わってくれる人なんかいないですし、すべての責任は自分にあるがゆえに、最終決断をするとき、いつも孤独ですよ。
ただ、この孤独は、強いからこその孤独だと今はわかります。
強くなったから、決断はひとりでするのだということも理解できますし、いつのまにかそうして生きてきました。
人は孤独だからこそ、愛してくれたり、慕ってくれる人がいると「有難い」と感じるのです。
愛されること、慕われることを「あたりまえ」と感じてしまう鈍い心は、いますぐ捨てるべきものだと私は考えます。

私は、いつも人を信用しすぎてしまうので、たまに……騙されて痛い目にあいますけどね……(笑)
それも勉強です。
それでも、あなたに生きてほしかった
それでも私は、やっぱり高野悦子には生き続けてほしかったです。
私は二十歳の高野悦子に「生きよう」と言いたい。
そして、この手で抱きしめたいです。
そのくらい愛おしいです。
実際、高野が生きていれば、私の親くらいの年齢ですけどね…。
あなたの「原点」はなんですか?
マーケティング的な観点から見ると、いまだにこの本が語り継がれているのは、彼女の若さが、永遠だからなのだと思います。
年齢の若い子も、年齢がいった人も、この「若さ(そして未熟であり孤独であること)」に惹かれるのです。
そして皆、自分の「原点」を探しているのかな、とも思います。

あなたの原点はなんですか?
若いころに影響を受けた本を読むと、当時の感性を思い出すと同時に、今の自分だったらどう行動するかな、という視点を持って読めますよね。
ぜひじっくり、たまには昔読んだ本を手に取ってみてください。
自分の進むべき道が、改めてわかるかもしれません。