推定◯◯を突破した記念に「48歳・真夏の大冒険」
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カイエダです。
この記事はとってもプライベートな内容となります。
2022年8月29日で、私は48歳になりました。
アラフィフど真ん中〜。
「48歳」。…実はちょうど10年前の38歳の頃から、意識していた年齢でした。
ブログ記事後半で、その理由は書いてみます。
ちょっと重め(笑)
まずは真夏の大冒険の内容です!
この記事の目次
15年ぶりに「ひとりお泊まり」決行
30代半ばくらいから、深夜、寝ている最中に具合悪くなることが増え(きっと仕事忙しかったから…)、自分の意識のないうちに、夫に看病してもらうことが増えました。
寝ている最中の体の悲鳴をそのまま放置しておくと、昏睡に陥って死に至ることもあるということを知りました。
そんな状態になっていたため、私は30代半ばくらいから、ひとりで請け負う仕事で、泊まりの出張を伴うものをすべて辞めました。
深夜具合悪くなったと想定して。
そのまま朝まで気が付かずに死んでいた…という状況を作りたくなかったためです。
クライアントに迷惑がかかることは、絶対に避けたいですから。
ですが!
ここ数年は、薬も進化したおかげか、深夜気がつかないほど具合悪い状態に、ならなくなってきました。
そこで。
筋トレもはじめて3年…。
48歳になる記念…といってはアレですが、『48歳、真夏の大冒険』と夫に宣言し、ひとりでホテルに泊まってみる…!ということをしてみました。

といっても、都内のホテルなんですけど…笑
しかも、一泊〜〜〜。
いろいろ楽ちんで出不精の私でもスイスイ。

この写真はどうみても空港ですね^^
立川からはだいぶ西方面にある、都内ホテルに1泊。
はじめて降りる駅近くのホテルでした。
今は全部オンラインで予約もできますし、セルフチェックイン機もあり、オプションもあとから追加しやすいホテルを選んだので楽ちんでした。
私はもともと出不精で、旅行などは全部一緒に出かける人に「依存」して、ただ付いていくタイプです。
が、ひとりでの宿泊はツレに依存するわけにはいかないのでひとりで全部行います。
まぁ、いつもやらないからといって、できないわけではないですね。
むちゃくちゃスムーズにチェックインからチェックアウトまで行いました。
サウナを楽しむためのお泊まり

※サウナ施設は当たり前ですが撮影禁止です。
こちらはあくまでもイメージ。

宿泊目的は「サウナ」でした。
いつも夫と出かける目的も、この2年ほど、ほとんどサウナ。
しっかり教育された私は、ひとりのときもサウナを満喫できるホテルを選びました。
具合悪くなるとしたら…を想定し、事前にあれこれ回避策を巡らせておいたおかげで、体調を崩すことなく健康的に1泊終えることができました。
サウナを満足度120%まで実施してしまうと、明らかにやりすぎ。
なので、サウナは「腹八分」で抑えました笑。
それでも早朝サウナもちゃんと満喫してきましたよ!

こうしてひとりで、たった1泊ですが宿泊してみてわかるのは、いかに普段、私自身が夫に依存しているか…ということですね。
夫も「おにいちゃん」体質で、面倒を見るのが割と好きな人。
「できない私」をみると「俺がいないと、ほんとコイツだめなんだから〜!」と喜ぶタイプです。
加えて私が「一人っ子」なので、この人は甘えていいんだ!とわかると、どんどんいい感じで甘えていきます笑。
それでバランスとれてるんですね、うちは…。
ひとり宿泊、15年ぶりでしたのでね。
このくらいが妥当ではないでしょうか(自分に甘い評価かもしれませんが…)。
少しずつ、チャレンジの幅を広げていきたいです。
突然海外に!ということはないかと思いますけれど、実家への帰省以外で、新幹線で遠出しひとりで旅行する!ところまでいけたら、すごい進化だと自分では思います。
48歳が特別な年齢だった理由

さて、冒頭でも少しお話ししましたが、38歳の頃に知った「あるデータ」で、私にとって「48歳」という年齢が特別なものになっていました。
38歳。
ちょうど私は、子供の頃から当たり前だと思っていた「お母さんになる」という願いを諦めた年齢でした。
失意のなかで私は、さまざまな情報を検索して、とあるデータを発見したのです。
それは、私と同じ病気を罹患したアメリカ人女性の平均寿命に関するデータでした。
なぜそんなデータを医師免許を持つ人がネットに公開していたのか、甚だ疑問ですけれども。
そのデータでは「平均寿命48歳」と掲載されていました。
自分の推定寿命を知ったときの感情
38歳の私は、むちゃくちゃ「ほっと」してしまいました。
もう生きなくていいんだ、と。
そんな自分に心の底から驚きました。
意識できていなかったのですが、私にとって生きるということは割と大変だったようです。
もちろん、本来どの方にとっても「生きる」ということは大変なことです。
私は自分で意識しないよう、自分を騙しながら、生きていたんでしょう。
「48歳寿命説」は、当時の私の「生きる理由」になりました。
親にも夫にも子供を抱かせてあげられないけれど、せめてあと10年はがんばって生きよう、私には仕事をすることくらいしかできないから、あと10年、必死で仕事頑張ろう、と。

当時の私は失意の中にいたので、自分自身に対してひどく絶望していました。
それでも自ら命を絶つほどの勇気はありませんでした。
両親や夫、クライアントの顔がよぎってその選択ができませんでした。
そのくらいの冷静さは、残っていたのでしょう。
ですから「あと10年」というのは、ある意味「希望」ですらありました。
あと10年生きられる!と、命を削った。
あらゆる仕事を深夜までやり続け、健康ではない自分の体を追い込みました。
勢い余って起業塾にも入り、さらに自分を仕事漬けにしました。
どこにいても元気なふりをしていましたが、常に心では泣いていた時期だったと思います。
実は38歳から45歳ぐらいまでの期間、自律神経のバランスを崩したのか不正出血が続きました。
きっかけは、お母さんになることを諦めた自分に絶望したこと。
約7年もの間、誰にも相談できずに不調と付き合っていました(婦人科へいっても「脳の問題ですね…」とだけ言われ、問題解決にはならず。根本的なストレスが原因だったようです)。
あと数年の命だったら、とことん自分を使おう、自分の能力を、命を、と思って命を削る行為をしていたのです。

ここまでくると、やっぱりちょっと病的ですね。
もちろん、がむしゃらに頑張ったことで達成したこと、成し遂げることができたことも多かったです。
ですが常に自分を責めていました。
恵まれている私は、その時々で救ってくれる人に出会う。
捨てる神あれば拾う神あり、とはよく言ったもの。
私はほんとうに恵まれていると思うのですが、そのときどきで私に「気づき」を与えてくれたり、励ましてくれる「人たち」に出逢います。
それは仕事仲間だったりお客様だったり。
一番身近にいてくれた、かけがえのない夫だったり。
メンターには「生きてていいんだよ」「もうがんばらなくていい」と支えてもらい、夫には「お前はただ、いてくれればそれでいいんだ。生きていればそれでいい」と言われました。

自分が相手に対して何を求めているか、と冷静になってみれば、とても理解できました。
夫に求めること。
それは、ただ私の隣にいてほしいということでした。
何もほしくない、ただ彼が存在してくれればいい、と大学生のときからの想い。
ずっと変わりませんでした。
もちろん健康でいてくれたほうが、本人も活動できるから健康でいてほしいですけど(^^)
夫も同じように、私のことを想っていてくれたこと。
私以上に私を大事に想っていてくれることが嬉しかったです。
両親に対しても同じ気持ちを抱いています。
私は自分が病気になってしばらく経ったとき、まだ20代の頃です。
「病気になったのがお父さんやお母さんじゃなくて自分でよかった。私だったら耐えられる」と思っている自分にびっくりしました。
愛する人に対しては、そういう純粋な想いを抱くのかもしれません。
子供って、そういうものです…。
「死ぬために生きる」から「楽しんで生きる」へ
私は自分の推定寿命(正しいか正しくないのかすら不明なのに…)を知ってからというもの、「死ぬために生きて」いました。
推定寿命にすがっていました。
ですがさまざまな出逢いや気づきのおかげで、今は根本的に考えを正しました。
せっかく命が続いている。
それならば「楽しんで生きよう」と方向転換することができました。
ベクトルが「死」へ向かっていた私が、「生きて」「楽しむ」へ、真逆にシフトチェンジしたんです。

もちろん人間は、永遠に生きられるわけではありませんし、私の体だってどこまでもつかなんてわかりません。
とはいえ、です。
私は…、年々元気になっていますね笑
終わりに
そんなこんなで、推定寿命と決別するために、私は「真夏の大冒険」にチャレンジしてみたのでした。

写真は「朝サウナ」を終えて、まるでジムへ行った後みたいになってる、元気いっぱいな私です。
健康じゃないか…!何が「寿命」だ…!とツッコまれそうです。
現在私は、もうがむしゃらに働く時期を過ぎ、のんびりと(もちろん真剣に)仕事を日々遂行しています。
働き者の両親の背中を見てきたおかげか、のんびりしていると罪悪感が湧いてくる時もあったり、がむしゃらだった自分が懐かしくなったりすることも正直あります。
もちろんお仕事は大好き!ですので、これからも真剣に取り組みます。
ですがもう、「命を削る」ような働き方は卒業です。
38歳からの10年間。
指折り数えて待っていた推定寿命48歳という年齢。
ふたを開けてみると、10年前より、ずっとずっと元気な48歳の私がいました。
そしてその状態を、ありがたいと感じられることが、一番の成長です。
自分を責め続けるのは、もちろん自分も苦しいけれど、大切に想ってくれている人たちも悲しくなっているということ。
自分を責めるのをやめるだけで、大切な人をもっと大切にできる。
改めて実感した誕生日でした。