【動画】傷の舐め合いからは何も生まれない…
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カイエダです。
「傷の舐め合いはやめよう」というメッセージを動画に撮りました。
5分くらいの短い動画です。
この記事の目次 [表示]
動画で語っていることを箇条書きにしました。
- 傷の舐め合いからは、何も生まれない。
- カイエダが指し示す傷の舐め合いとは「できなくても大丈夫。私もできないから〜」というマイナスな励まし合いの集団に身を置き、安心してしまうこと。
- ビジネスでうまくいっている人で「できなくても大丈夫」な傷の舐め合いグループにいる人はいない。
- 集まって傷の舐め合いをすると、できる人の粗探しをしがち。
- カイエダは、傷の舐め合いも、人の粗探しもしたくないので「集団」にならないようにしている。
- これが良いか悪いかはわかりません。カイエダがそうしているだけ。
- マイナスな励まし合いをしているくらいだったら、ブログ1記事書いた方がよい。

付き合う人を厳選することは、自分の成長のためにとても大事です。
自分が成長することは、イコールお客様の幸せに繋がります。
マイナスな要素で安心しても、何も前進しないんですよね。
私が「傷の舐め合いもう必要ない!」と実感した成功体験
こちらの記事や、メルマガ・ブログ・動画で何度かお話していますが、若い頃に内臓の一部を壊し、何年もの間、病気に関しての情報がなく、とても深い悩みを抱えて生きていました。

インターネットを介して、自分がほしかった情報と出会い、人と出会い、私の人生は好転していきました。
ただし。
好転していく最後のきっかけは「傷の舐め合い」をやめたことでした。
同じ病気で悩んだり、生き辛さを感じている「仲間」と出会い、私は自分の「居場所」を見つけた気持ちになっていました。
居場所はとても心地良いのですが、慰めあったところで、病気を治療しつづけていくことに代わりはありません。
自分の体に起こったことである限り、自分が自分の責任者です。
仕方のないことかもしれませんが、病を持つ人の集まりは、どうしても「傷の舐め合い」になります。
人生を前向きに生きていくのではなく
「病気をしてかわいそうな私たち。だからこれでいいんだ」
と、同じ悩みを持つ人間同士で集まり続けることに、何も進展はないのではないかと思うようになりました。
私の場合は慢性疾患のため、仲間のいる環境は、余計そういった精神状態になりやすかったのかもしれません。
そもそも私は「かわいそう」と言われることが嫌いでした。
勝手に私をかわいそうにしないでほしい、と思っていました。
なのに、傷を舐め合っている……。
この行為自体「自分は、かわいそうな人」と認めていることになる、と気が付いたのです。
そこで思い切って、距離を置くことにしました。
もちろん関係をすべて絶ったワケではありませんが、仲間に「依存しない」ようにしていったのです。
病気になったのは
- 誰のせいでもない。
- 自分のせいでもない。
- 環境のせいでもない。
とにかく、自分が歩みたい人生を歩んでいくだけ。
そう感じたのです。
すでに私は、その時点で「弱っている病人」から卒業したのかもしれません。

もちろん、私の持病は完治はしていません。
ですが、精神的に健康であること、そして自力で課題を乗り越えてきたことが自信となり、今では誰にも心配されないくらい(笑)、見た目も中身も、むちゃくちゃ元気です。
まとめとして

世の中は、傷の舐め合いグループが多いです。
あなたが、もっと成長を望み、違和感を感じるようだったら、そっとグループから距離をおいてもいいんですよ。
自分がどうありたいのか、で選択していきましょう。