【エピソード36】今更ですが「AC/DC」が好き、ってやっと言える…!苦手なクラスメイト男子を気にしてちゃんと聴けなかった過去を捨てます。
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カイエダです。
最近、気づいたらHR/HM沼にどっぷり浸かっています、という話をこちらの記事でしました。
私の心の中の「厨二病(純粋な反骨精神w)」が再燃。
媚びないロックの根源的なエネルギーに夢中になっています。
そもそも好きだったOzzyやKISSだけではなく、今更ハマって聴いているのが、言わずと知れた大御所AC/DC!
彼らは私の聴いてきた音楽の中で、ずっと「聴きたかったけれど、聴けなかった」という、ちょっと特殊な存在でした。
この長年の心のしがらみを、ここで、完全に捨て去ります。
この記事の目次
あの頃、AC/DCは「苦手な男子」の象徴だった
彼らのアルバム『Back In Black』は世界で最も売れたロックアルバムの一つですし、あのシンプルで強力なリフは、ロックの歴史そのものです。
私がAC/DCを避けてきた、その理由…。
それは、本当に単純で、そしてとても「厨二病」的です(笑)。
高校で同じクラスだった、苦手な男子。
その子がAC/DC、大好きだったんです…。
そもそもAC/DCという名前と、彼らの音楽が持つ圧倒的な存在感はもちろん知っていました。
音楽の趣味が、苦手男子と同じというのが、何よりも嫌でした。
「好き」という感情を封印した、若かった過去
彼のせいで、AC/DCの音楽を意図的に避けました。
ですがソリッドで芯のあるサウンドは当時から嫌いではなかったんです。
それでも「あいつの好きなものなんて、私には関係ない」と、頑なに手に取ることはしませんでした。
今振り返れば、なんて若くて愚かだったんでしょう(笑)。
一人の苦手な人の影響で、素晴らしい音楽に出会う機会を、自ら手放していたのです。
これはもう、完全に「人間関係のしがらみによる、音楽の自己規制」です。
まあ…、それこそが、思春期の私にとっての、ある意味「曲げられない変なこだわり」だったんです。
音楽は嫌いじゃないのに、そうだなぁ、避けていたというよりも「無いもの」にしていました。
今、AC/DCを聴き始めた理由
OzzyやAceの訃報を通じて、「人生は有限だ」と突きつけられた今、「自分の心に正直に生きたい」という思いが強くなりました。

とはいえ、相当正直に生きてますけどね十分w
そして、改めてAC/DCの音源を聴いてみて、私は簡単にノックアウトされました。
「なんてシンプルで、なんてカッコいいんだ!」と。
彼らの音楽には、余計なものが一切ありません。
そこにあるのは、Angus Youngの無駄のない、切れ味鋭いギターリフと、Bon Scott(あるいはBrian Johnson)の魂を揺さぶるボーカル、そしてMalcom Youngとリズム隊が刻む、鉄壁のグルーヴだけ。
特に、その「削ぎ落とされたシンプルさ」が、私には強烈なエネルギーとして響きました。
- 無駄がない:無駄な装飾や凝ったアレンジがない、純粋なロックンロール
- 直球勝負:感情をストレートにぶつけてくる、潔いサウンド
- 揺るぎないグルーヴ:聴いていると自然と身体が動いてしまう、本能に訴えかけるリズム。
AC/DCは、まさに私の心の中の「厨二病精神」、つまり「本質だけを見極めたい」という探求心を満たしてくれたんです。
AC/DCの魂に学ぶ「純度」の高さ
AC/DCの音楽には、私たちが人生で経験する「余計なしがらみ」や「複雑な感情」をすべて焼き尽くすような、純度の高いロックンロールの炎があります。
あの時、私がAC/DCを避けたのは、音楽そのものが嫌いだったわけではなく「苦手男子」というノイズが強かったから。
ですが、もう大丈夫。
あの頃の私を縛り付けていた、小さな意地、しがらみは、もう必要ありません。
私は今、自分の心に正直にAC/DCを聴き、そのエネルギーを吸収しています。
まとめとして
過去のしがらみを捨て、心で欲する音に身を委ねる
私たちは、人生のどこかで、誰かや何かを気にして、「本当に好きなもの」を遠ざけてしまうことがあります。
ですが、その感情の鎖を解き放つのは、いつだって自分自身。

AC/DC、超かっこよ!
THE漢!って感じのロック!!!
今、私は心からそう言えます。
過去のしがらみや意地を捨て、純粋に「音」を聴き、そこからエネルギーをもらう。
それが今、私がロックやHR/HMから学んでいる最大の教訓です。
人生は、誰かのためのものではありません。
自分の心が本当に欲している音を、信じていけばいいんだな〜!と改めて感じています。



















