【エピソード35】私は一生「厨二病」。スターの死に直面してからHR/HM沼から出られないし、出たくない。
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カイエダです。
最近、気づいたら何度目かの「HR/HM沼」にどっぷり浸かっています。
きっかけは今年の夏、ヘヴィメタルの帝王Ozzy Osbourne(オジー・オズボーン、以降「Ozzy」)さんが天に召されたという訃報でした。
そしてつい先日は、KISSのAce Frehley(エース・フレーリー以降「Ace」)さんも。


大好きなスターの訃報が続くと、心が空っぽになってしまうような、深い喪失感を覚えますよね。
ファン歴がどれだけ長くても、短くても関係ありません。
彼らの音楽にどれだけ魂を揺さぶられたか、その事実が残っているだけ。
そして、その喪失感の後に私を待ち受けていたのは、子供のころにハマったの音楽、HR/HM(ハードロック・ヘヴィメタル)の世界でした。
まるで何かに導かれるように、スピーカーやヘッドホンからは絶えず激しいギターリフとドラム、魂の叫びのようなボーカルが流れています。
コンクリートの上をシャベルで擦るような、不快に聞こえるような音の世界。
まだ見たことはないけれど、地獄と言われるのはこんな世界なのかな、と思わせるような世界観を醸し出しています。
この感情は、単なる「郷愁」なのでしょうか。それとも、「厨二病の再発」なのでしょうか。
この記事の目次
なぜ私は「綺麗めロック」ではなく「異端」を選んだのか
私が中学生だった頃、日本の洋楽ロックシーンではBon Jovi(ボン・ジョヴィ)が絶大な人気を誇っていました。
いっぽうで、当時の日本のアイドルは光GENJIで(笑。懐かしい!)、私の周りの女子はアイドルにキャーキャー言っていました。
若いロックスターたちの中性的な甘いマスク。
キャッチーでメロディアスな曲の数々。
当時は彼らがロックシーンの象徴であるかのようでした(いわゆるヘアー・メタルというやつ)。
他にもモトリー・クルー、ガンズ・アンド・ローゼズといった、華のあるヴィジュアル綺麗めなバンドが熱狂的に支持されていましたね。
もちろん私もそういうバンドも大好きでした。
ですが当時の私は、そういう「綺麗で売れている人たち」だけではなく、その人たちが共演していたり、彼らが子供時代に憧れていたロック・ミュージシャンに目がいってしまったんです。
あまのじゃくな精神でも、捻くれ者でもなく、自然な流れでした。
流行りのバンドだけではなく、そのジャンルの「ルーツ」や「源流」を知りたい。
コアなところを深掘りしたい。そんな衝動に自然に駆られて、私の「アイドル」となったのが、OzzyとKISSでした。
特にOzzyのソロ活動を通して、彼が元いたバンドBlack Sabbath(ブラック・サバス)というルーツ、つまりヘヴィ・メタルの始まりへと私を誘いました。
- Ozzy
中学生の私には予想外の「中年で脂が乗りまくっている」存在でした。
「闇の帝王」というニックネームのOzzy。
私にはファニーでかわいいおじさんにしか見えませんでした。
そう。とにかくOzzyはかわいいんですよ涙。
ですが、その音楽とパフォーマンスはまさに帝王。
歌は…。うまい!というより味がある!という感じです笑
Ozzyの世界観、存在感、音楽、ゴシップ…。
すべてが私にとっては、本当に「世界のすべて」になっていきました。 - KISS
白塗りのメイク、火を吹くパフォーマンス、そして何よりAceの宇宙的な存在感(KISSの中で最初一番好きでした)。
彼らは単なるバンドではなく、エンターテイナーとしての覚悟を持っていました(特にGENEとPAULね)。
ベースGene Simmonsの「人を喜ばそうと心底命をかけているおじさんがめっぽう好き」という私の性癖(!)を決定づけたのもKISSでした。
思春期の多感な時期、私は女子ウケする「イケメン」ではなく、「規格外の個性」や「生々しいエネルギー」を放つ「おじアーティスト」に惹かれていました。
これは、私の中に宿る「一生ものの厨二病精神」、つまり「誰にも理解されなくても、自分が信じる世界を徹底的に追究したい」という、純粋な探求心の現れだったのだと思います。

かなり、うまいこと言ってますけどね笑
なぜ今、「HR/HM沼」から抜け出せないのか
あれから何十年も経ち、私もとんでもなくいい大人になりましたが、今、再びこのロックの世界に没入し、抜け出せなくなっています。
これは単なる「懐メロ」の消費ではありません。
1. スターの死が突きつけた「時間の有限性」
OzzyやAceが人生を全うし、そのキャリアに幕を閉じたという事実は、私たちファンに「推しは推せる時に推せ!」という重いメッセージを突きつけました。
それは、今の人生を最大限に生きるべきだという、焦燥感と決意にも似ています。彼らの音楽が「終わらない青春」を歌い続けてくれたように、私も立ち止まってはいられないと思いました。
2. 「不完全なもの」が持つ圧倒的なエネルギー
当時のHR/HMの楽曲は、現代の洗練されたデジタルなポップスとは違い、時に荒削りで、剥き出しの情熱がそのまま音になっています。
ちなみに、デジタルなぴこぴこした音楽も私は好きですけどね。
HR/HMの「不完全さ」が持つガシガシしたエネルギーこそが、人生の酸いも甘いも経験した今の私に、強烈に響いてくるのです。
それはまるで、過去の自分が持っていた「転んでも立ち上がる力」や「自分を信じる力」を思い出させてくれるかのようです。
3. 「深掘り」が日常に与える彩り
一度沼にハマると、次から次へと「知りたい」ことが湧いてくるものです。
- 初期のライブ映像に隠された若さゆえの荒々しさ。
- リマスター盤で再発見する音の深さ。
- メンバー間の軋轢や人間ドラマ(笑)。
こうした深掘り(研究)は、私のWeb運営ディレクターとしての「探究心」を満たしてくれるだけでなく、日常の仕事や暮らしに、尽きることのない「彩り」と「刺激」を与えてくれます。
まとめとして
HR/HMの精神は「諦めなくていい」ことなのかもしれない
今、私がHR/HM沼から抜け出せないのは、彼らの音楽が、私の「厨二病精神」、つまり「何にも妥協せず、自分の好きを生き抜く」という核となる部分に、深く共鳴しているからなのだと思います。
それは、OzzyやKISSが示してくれた「やりたいことをやる」「転んでも諦めない」「そして決めたら続けていく」姿勢を楽曲を通して伝え続けている点にも共通します。
私の推し活は、まさにその「純粋な探究心」と「諦めない人生への再確認」。
誰かに何と言われようと、好きなものは好き。
そして、その好きなものから、生きるためのエネルギーと勇気を存分にもらえばいいですよね。
結論ですが…。「私は一生、厨二病」ですね笑。
HR/HMの沼からはしばらく抜けられそうにありませんので、他のHR/HM系アーティストの音楽も含め、存分に浸りたいと思います。

















