【ピースフル・マーケティング・ブロギング】AI時代に問う『ブログの存在意義』私のナレッジベースが、誰かへの『おもてなし』になる日まで
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カイエダです。
今回の記事では、ピースフル・マーケティングの視点から、このAI時代における私のブログの「存在意義」について深掘りしていきたいと思います。
この記事の目次 [表示]
はじめに
10年ブログを続けて見えてきた「存在意義」とAIの台頭
ブログを10年、気がつけば1000記事を達成していました。
この長い道のりの中で、私のブログはいつの間にか「自分のナレッジベース」になっていたことに気づきます。
日々の学びや考え、経験したことを記録し、整理する場所として、私自身にとってかけがえのない存在です。
一方で、世の中は急速に変化し、GPT-4oやGemini ProといったAIツールが膨大な情報を瞬時に整理し、要約してくれる時代になりました。
検索すれば何でも答えが見つかり、AIが流暢な文章を生成する今、「なぜ人間がブログを書くのか?」という問いが大きくなっています。
ブログが「自分のナレッジベース」である理由
かつて、ブログを書き始めたばかりの頃は、「誰かに伝えたい」「読んでもらいたい」という気持ちが強かった時期もありました。
ですが、熱意を込めて書いた記事が思うように読まれなかったり、同じことを何度も書いてもなかなか伝わらなかったりする中で、「伝わらないことの虚しさ」を感じることも正直ありました。
当然のことなのですが、人は自分の興味のない部分は、どれだけ分かりやすく書かれていても、全く目に入らないものなのだと痛感したのです。
ですが、その虚しさを感じたからこそ、私はブログを「読者様に伝わること」だけを目的とするのではなく、「自分の知識を整理し、記録する場所」として捉えるようになりました。
これが、私のブログが10年間も継続できた大きな理由の一つです。
知識の定着と再利用性を高めるナレッジベースのメリット
私にとってのナレッジベースとしてのブログには、以下のようなメリットがあります。
- 知識の定着化と再利用性: 新しく学んだことや経験したことを文章にすることで、知識がより深く脳に定着します。そして、過去の自分の思考プロセスや情報をいつでも簡単に振り返ることができます。これは、ビジネスを進める上でも非常に役立っています。
- 情報の信頼性: 外部の情報をまとめるだけでなく、自分が実際に経験し、検証したことだけを記録することで、私にとって最も信頼できる情報源となります。
- 思考の深化: ただ頭の中で考えるだけではまとまらなかったことが、ブログに書くというアウトプットを通して、より深く整理され、新たな気づきが生まれることがあります。
このように、たとえ読者様との直接的な交流が少なくても、私のブログは私自身にとって計り知れない価値を持っています。
AIが情報を「整理」する時代に、人間が「紡ぐ」ことの意味
AIは、文字通り「瞬時に」膨大な情報を処理し、分類し、私たちが必要とする形で提示してくれます。
これは情報検索の効率を飛躍的に高めました。
ですが、AIが提供する情報と、人間がブログで「紡ぐ」情報の間には、決定的な違いがあると私は考えています。
AIには真似できない「実体験」と「感情」
AIは過去のデータから学習し、最適な答えを導き出します。
もちろん、私が使っているGPT-4oやGemini Proも、ブログ記事のアイデア出しや構成案作成、文章のブラッシュアップに大いに役立っています。
ですが、AIは「感情」を持つことができませんし、「実体験」を伴うこともありません。
- 実体験:
私がブログで書くのは、10年間のブログ運営の中で経験した喜びや悩み、その他、推し活で感じた熱い思い、そしてITツールを実際に使ってみて「これは便利だ!」と感じた生の声です。
これらは、AIがどれだけ賢くなっても、私自身の人生の文脈の中でしか生まれ得ない情報です。 - 感情と文脈:
AIが提供するのは事実やデータが中心ですが、人間のブログには、その背景にある感情や、私が何を考え、どう感じたかという「文脈」が込められています。
この文脈こそが、読者様の心に響き、共感を生むのです。
個性という「フィルター」を通して生まれる新たな価値
同じ情報でも、書く人によって全く違う伝わり方をします。
私のブログは、カイエダミエという一人の人間が持つ、独自の視点や解釈という「フィルター」を通して情報が紡がれています。
このフィルターがあるからこそ、他のどこにもない、私だけのコンテンツが生まれるのです。
私の提唱する「おもてなしブログ」や「ピースフル・マーケティング」も、私自身の経験と価値観から生まれたものです。
AIはこれらを模倣することはできても、その根底にある「哲学」や「人間性」を自ら生み出すことはできません。
この個性こそが、AIが情報を整理する時代においても、人間がブログを「紡ぐ」大きな意味だと信じています。
いつか誰かへの「おもてなし」になる日まで
直接的な反応が少なく、時には「伝わらないことの虚しさ」を感じることもありますが、それでも私はブログを書き続けます。
なぜなら、ナレッジベースとして積み重ねた記事の一つひとつが、「いつか、どこかの誰か」にとっての「おもてなし」になる日があると信じているからです。
私にとっての「おもてなし」とは、相手に直接的な見返りを求めず、相手が喜ぶことや役に立つことを願う心です。
ブログは、その「おもてなし」の形の一つだと考えています。
例えば、私のブログを読んでくださった方が、何かの問題解決のヒントを見つけたり、私の推し活記事で少しでも心が癒されたり、あるいはブログ運営のヒントを得て「自分も頑張ってみよう」と思ってくださったりするかもしれません。
たとえその場で直接的な感謝の言葉がなくても、私の記事が誰かの心に静かに寄り添い、小さな光を届けることができたら、それこそが私にとっての大きな喜びです。
これはまさに、私が提唱する「ピースフル・マーケティング」の思想にも通じます。
積極的に売り込むのではなく、ただひたすらに良質な情報や価値を提供し続けることで、平和的な形で読者様との信頼関係を築いていく。
読者様との交流が少ない現状ですが、私のブログが誰かの役に立つ日を信じ、自分の知識や経験を惜しみなく提供し続けることが、結果として真の「おもてなし」に繋がると確信しています。
まとめとして
ブレない軸で、ブログの新たな価値を創造する
AIが進化し、情報が溢れる現代において、ブログの存在意義は常に問われ続けています。
ですが、私にとってブログは、自身の知識を整理する「ナレッジベース」であり、同時に「いつか誰かの役に立つかもしれない」という静かな希望を込めた「おもてなし」の場でもあります。
「伝わらないことの虚しさ」を経験しつつも、10年間ブログを継続できたのは、読者様の反応だけでなく、自分自身にとっての価値、そして「誰かへの貢献」という漠然とした、しかし確かな信念があったからです。

これからも、私は自分のペースで、自分の書きたいことを、そして誰かの役に立つことを信じて書き続けていきます。
AIを賢いアシスタントとして活用しながら、人間らしい感情と経験に裏打ちされた、私ならではのブログを紡いでいくことが、このAI時代におけるブログの新たな価値創造に繋がると信じています。