アカデミー賞で平手打ちのウィル・スミス。あなたはどう思う?
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カイエダです。
このブログでは「時事ネタをブログに書くテクニック」などの記事もありますが、今回の記事も時事ネタを扱った記事です。
カイエダの辛い経験も含まれますのでご容赦ください。
この記事の目次
俳優ウィル・スミスの平手打ちとは?
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2022年3月27日、アカデミー賞授賞式で、俳優のウィル・スミスさんが妻ジェイダ・ピンケット=スミスをからかった、司会をしていたクリス・ロックさんを壇上でビンタ!した件です。
問題となっているのは「暴力に訴えてしまった」こと。
特に今は、ロシアのウクライナ侵攻もあり、暴力行為を公の場でしてしまうことはかなりシビアです。
また、クリス・ロックもウィル・スミスもアフロ系アメリカンですが、アメリカでは根深い人種差別があり、黒人であるがゆえに無実にも関わらず疑われ、白人警察官に銃殺されたり、なども問題が発生しています。
不当な扱いや暴力を反対する黒人活動家も多い中で、同じ人種であるウィル・スミス自らが感情のままに
暴力を振るってしまったことは、建前上・教育上もよろしくないのですよね。
ただ。
人間的な観点でいえば、奥さん馬鹿にされたら、そりゃ腹立ちますよね。
しかも。
アカデミー賞で笑いものにするって、どういう神経してるんだ、って思いますよね。
フツーに。

暴力はNGで、暴言はOKとされてしまう……というのは悲し過ぎますしね。
おそらくクリス・ロックから言わせれば「いやー、あんなのジョークだよ。重く捉えるなよ〜」って感じなんでしょう。
もともとそういうネタをよく言う人のようです。
ただねぇ。
病気を揶揄するのはあまり好ましくはないですね。
ここから私見です。
「病気だから可哀想」という捉え方はよくないけど、一緒になって笑うのはマジでやめて。

これは私も経験済みなのですが、病気を揶揄することはよくないことです。でも…。
病気だから可哀想、と言われるのもキツイんですよ。
可哀想じゃないから別に。
そう言われたくて病気を公表するわけではないのでね。
私も17歳の頃から持病持ち。
これまで、心を開いた人で、かつ、もしお仕事などでご一緒しているときに私の体調が急変して驚かせてしまったらいけないので、私は自分の持病に関して知っていただくようお話ししているようにしています。
おおっぴらにすることはない、と思っているのであくまでも内輪で済ませようと思っています。
ですから、自分が信用した人にしか基本持病のことは言わないのですが、それでも信用が裏切られたというか、軽く扱われてきた経験、たくさんあるんです。
- 高校生のときの英語の先生
- むちゃくちゃ大好きだった大学の教授
- 起業塾でいろいろ教えてくれた10歳年下の凄腕の起業家
今でも執念深く覚えてますけど(すみません、キモいですね)、私は自分の病気に関して、私が知らないところで笑われたり、大勢の人前でバラされてネタにされたり、を何度か経験しました。
本当に悲しかったしキツかったです。
だいたいそういうとき、私はひとりでした。
夫ももちろん隣にはいません(高校生のときはさすがに出会っていませんから無理ですね)。
手を繋いでくれる仲間もいませんでした。
ネタにされたり、笑われたことだけでなく、キツかったのは、周りにいた人たちも、うっすら笑ってるという状況が心の底からキツかったです。
おそらく、ですが。
病気を抱える当人になったことがないから知らないんです。
ネタにされ笑われることがとても辛いということを。
同じ土俵に乗ってはいけない
ただね。
ネタにされたり笑われている現場で、感情を丸出しにしてしまうと「同じ土俵に乗る」ことになります。
ですから平静を装って「うわて」をいくしかないんです。
辛いけど。
しんどいけどそうするほかない。

まあ、今ならそう思いますが、実際その場で笑われた私は、何もできずに、その場に固まって、時が過ぎるのを待つしかできませんでした。
当人ですしね。
ウィル・スミス、きっと怒りで煮えたぎったんだろうなぁと思うんです。
冷静さを欠いてしまったことは、よくなかったかもしれません。
「たられば」はないけれど、もし「手を出す」のではない異なる手段をとるとしたら
やれたとしたら
1)自分のスピーチの時にジョークでロックに相当な恥をかかせる。
ウィル・スミスくらいの人だったら頭いいのでできそうです。
ですが、これもまあ、品がないので
2)自分のスピーチのときに、ガチで、とはいえ冷静にゆっくり、ロックに抗議する。
これが一番よい手段だったかも、とは思います。

ほんと「たられば」ですけどね。
自分の大事な人が公衆の面前で侮辱されるなんてあんまりです。
確かに人間だもの辛いよね。
最悪の事態を阻止することができた可能性
私自身が、人前で病気に関して笑われたとき、周りの反応がとても悲しかったのですが、誰かの弱い部分や見た目・病気などを揶揄して笑いを取ろうとする人がいたら、本来は会場にいる人たちが速攻ブーイングをしたり、抗議したりしないとダメなんだと思います。
ジョークだ、と一緒になって笑ってちゃダメなんですよ。
人としてどうか、ってレベルです。
当事者を孤立させない、矢面に立たせないことで防げることもできたかもしれません。
ですから会場の「ノリ」に流されることなく、自分の判断を間違えないように心しておく必要って、常々あるんですよ。
- 芸能人だから何を言われてもよい
- 俳優だから何を言われてもよい
- お笑い芸人だから何を言われてもよい
- 有名人だから何を言われてもよい
- 何言っても傷つかないような、おちゃらけたふうに見える人間だからよい
ということは決してありません。
鍵は、想像力です。
言われた人はどんな気持ちになっているのか、という想像力を働かせることがとても大切です。
あまり参考にはならないかも、ですが私の抵抗の仕方
ちなみに。
私は高校の時の英語の先生には、授業後に直接抗議しました。
あんまりだ、と。
しかも病み上がりの時期だったからガリガリで青い顔して、いかにも病人の見た目で抗議したので怖かったでしょうね先生。
英語研究室で、それなりに冷静に論理的に抗議したので、他の先生たちもいて恥かいたはずです。
高校生ながらよくやったと思う。泣かなかったし。えらい笑
親には、学校の先生に授業中、教室のみんなの前でネタにされたことは言いませんでした。
担任でもなかったですし。
親のほうが気の毒になってしまって。
辛い思いするのは自分だけでいいと思ったんです。
大学の教授は、たしかゼミの何周年記念かなにかのパーティーで、100人以上集まっている中で、マイク通して言われたんです。辛い…。
当日は私は早々に席を立って帰りましたが、もし他の学生に対しても同様のこと(病気を揶揄する行為)をしたらよくないと思ったので、後日文章で私の気持ちを伝え、抗議しました。
今後も病を気にする学生もいる可能性あるから、絶対するな、と。
お詫びいただきましたが、それきり、私はもう大学の頃楽しい時間を過ごした仲間(先輩・同期・後輩)とは一切会っていません。
会えなくなっちゃったんです。
もう。
みんなは先生のこと大好きだから。
みんなの「好き」を、たった一人の文句で奪えないじゃないですか。
私も大好きだったのにな(涙)。
先生ともそれきりです。
起業家の人は、相手にしないことにしました笑
言うだけ無駄だ、こんなやつ!と思って。
おそらく。
言った本人がもうすっかり忘れていることでしょう。
そういうものですよね。
言葉にするほうは。
言われた方はずっと傷が残るのに。

この不条理はきついものがあります。
もし当時、となりに夫がいたらどうなっていただろう。
高校生のころはさすがにない、ですが、大学の教授に笑われたのは同窓会的なときだったしもう30歳は過ぎていて既婚でした。
もし隣に夫がいたら、きっとこう言うと思います。

気にするな。
言わせておけ。
言われたのが自分でまだよかった、と思え。
他の人が傷つかなくてよかったじゃないか。
お前は可哀想じゃない。
誰よりも俺に愛されてるじゃないか!
だからあんな奴らのこと気にするな
暴力には訴えずに、静かにそばにいてくれたと思います。
実際、こういうことを辛かったとき言われたことあるのです。
頭が下がります。
まとめとして
こう考えてみると、ウィル・スミスがすべきだったのは、奥さんに愛をさらに伝えることだったのかもしれません。
何そのジョーク、馬鹿じゃない?俺たち超幸せ〜〜〜〜!!!!という空気に、勝つものはないです。