【エピソード13】アルバムレビュー『安全地帯 I Remember to Remember』安全地帯
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カイエダです。
そろそろ自分の推し活記録もネタが尽きてきました。
そこでいよいよ…!アルバムレビューをはじめてみます。
安全地帯もTHE ALFEEもアルバムの数がとても多いので、ある意味、過酷な取り組みかもしれません。
一方で、だからこそやり甲斐がむちゃくちゃありますし研究に拍車がかかるというもの。
ミーハーでいろんなジャンルの音楽を聴いてきただけ!という何の楽器もプレイできない、音楽的知識ゼロの私がレビューをしていくとか、割と大胆かもしれませんね笑。
それでは!第1弾は、安全地帯のファーストアルバムから…!
この記事の目次 [表示]
『安全地帯 I Remember to Remember』概要
安全地帯のデビューアルバム『安全地帯 I Remember to Remember』は、1983年1月25日にKitty Recordsからリリースされた作品です。
このアルバムは、井上陽水さんのバックバンドとしての活動を経て「彼ら自身の音楽性」を確立していくための第一歩となりました。
アルバムには、セカンドシングル「オン・マイ・ウェイ」やサードシングル「ラスベガス・タイフーン」を含む全11曲が収録されています。
なぜかファーストシングル※は収録されていないんですよね…。
※ファーストシングルに関してはページ下に注釈がありますので、そちらをご参照ください。
セカンドシングルもサードシングルも、ロック色の強いサウンドで構成されていましたが、望んでいた結果(=ヒット)には結び付かなかったようです。
アルバムはオリコンチャートで最高22位を記録。
商業的にも一定の成功を収めたようです。
アルバムの制作には、プロデューサーの星勝 氏(もともとは鈴木ヒロミツさんと The Mopsというバンドを組んでいた方)が関わっており、作詞は主に松尾由紀夫 氏 、作曲は玉置さんが担当しています。
なお松尾由紀夫さんはこのアルバム以降は安全地帯とは一緒にお仕事はしてはいないようですが、他アーティストへの作詞提供をたくさんなさっています。有名なのはHound Dogの「ff(フォルテッシモ)」ですね。
サウンド面では、アメリカンロックの影響を受けつつも、ニュー・ウェイヴの要素を取り入れたキーボードの音色が特徴的。
このアルバムは、安全地帯の原点とも言える作品であり、彼らの音楽的な進化の出発点として、今なお多くのファンに愛されています。
デビュー作ながらも非常に完成度の高い楽曲群。
時代を超えて聴き継がれる価値のあるアルバムなのではないでしょうか。
『安全地帯 I Remember to Remember』収録曲&勝手なコメント
- LAS VEGAS TYPHOON(ラスベガス・タイフーン)
…歌詞の中に出てくる「砂漠」のイメージが本当にマッチしています。
大人の女性が誘導してるみたいな歌詞が私は好きです。
印象的なイントロ&ギターリフから始まり、クセになります。 - RUN OF LUCK(ラン・オブ・ラック)
割とこういう曲ってその後の安全地帯のアルバムにも共通するリズム&メロディな気がします。
ベースラインの展開が好きです。
確かにPOLICEっぽいですね。
途中入ってくるギターリフが、俺たちはロックやってるんですよという主張な気がしてしまいます。 - AGE(エイジ)
…この曲はイントロが好きすぎます。
全体のメロディも、歌い出し部分に入るところのギターも好き❤️
全体的に切ないです。詩も。
シングルカットされた『LASVEGAS TYPHOON』のカップリング曲です。 - ILLUSION(イリュージョン)
…若KINGのファルセットがとても綺麗です。
おそらくファルセットを使わなくてもこの音域だったら通常の声で出るところを敢えてファルセットで歌っていますよね。
この曲にはそちらのほうが合っているから。 - SILENT SCENE(サイレント・シーン)
…目立つ曲じゃないのですが、曲後半にかけての展開が
「わー、これは他の人じゃ作れない曲。安全地帯だなー、KINGだなー」と思わせます。
割と好きな曲です。サックスが入っているところに時代を感じますが古臭くはありません。 - I’LL BE ON MY WAY(オン・マイ・ウェイ)
…ペースはスローですが、この曲も印象的なイントロ&ギターリフから始まるロックテイストのある曲。
でもなぜこの曲がシングルカットされたのかなぁ…、と思ってしまいます。
むちゃくちゃ印象的なサビがあるという感じでもないですしね。
でも安全地帯はこれで行きたかったんだろうな、と思います。 - BIG JOKE(ビッグ・ジョーク)
これはきっとライブで盛り上がっただろうなぁ、と予想できる曲。
何故ならアップテンポだから。
歌詞は小椋佳さん(とリンダ・ヘンリックさん)が入ってるんですね〜!意外です。
しかもカタカナ。この曲名、のちに安全地帯のファンクラブ名になったようです。 - RETURN TO FOREVER(リターン・トゥ・フォーエバー)
私にとってRETURN TO FOREVERといえばチック・コリアなんですよね笑
Jazzにも傾倒していた時期があるのですみません^^;
割とロックバリバリ。ギターやドラムがなかなか激しいです。 - 冬CITY-1
優しい曲。バイオリンが入ってますねぇ。
こういう優しい曲でも「俺とお前」なんですね。
これは武沢さんのお兄さん俊矢さんの影響なのかしらね。 - ENDLESS(エンドレス)
初期の安全地帯のライブでのスタートやエンディングで使われている曲。
この曲も若KINGのファルセットが効いています。 - I NEED YOU(アイ・ニード・ユー)
結構好きな曲だなぁ…。
曲が途中で展開変わるので割とプログレっぽいイメージ。
ギターの入り方がブルージー!
サビにまた戻ってくると、なんか安心します。
広大な大地を思わせる曲(何故??)
このアルバムを聴いた感想です
安全地帯Ⅳの後に聴いた、ファーストアルバム
私が安全地帯を好きになった頃リリースされていたアルバムは「安全地帯Ⅳ」(碧い瞳のエリスや悲しみにさよならが収録されているアルバムで、安全地帯のアルバムでは最大のヒット作)でした。
そこから遡って聴いていったので、そうですね、小学校5年生か6年生の頃にはじめて聴きました。
最初の印象が「ラスベガス・タイフーン」で「『俺』って言うんだ」でした笑
松井五郎さんの作詞では、一人称をあまり「俺」と言わないので、少し面食らったんですよね。
今聞き直してみると
色々な文献や資料を調べた上でファーストアルバムを聴きなおしてみても「思っていたよりもハードロックじゃないな」と思います。
>>私が安全地帯・離脱期間中に、相当ハードロックやヘヴィメタルに傾倒しましたから笑
すでにこのファーストアルバムでは、若干ニューミュージックっぽいテイストにまとめられている感じがします。
売れるために、でしょうか。
当時、1983年はハードロックよりもこういった都会的なポップスが売れる?というプロデュースだったんでしょう。
とはいえ、です。もともとドゥービー・ブラザーズみたいな泥臭いロックをやりたかった安全地帯。
これ以降のアルバムよりは、まだ泥臭さがあります。
自分たちがやりたい音楽で勝負する!という意気込みが感じられます。
ロックテイストは随所に感じますが、若干ポコポコ聞こえる音作りは、当時、世界的に売れていたSting率いるPOLICEの音作りを参考にしていたみたいなので、なるほどね、と思いました。
ここでも何故か、勝手にご縁を感じてしまうのですが、私が中学1年生の時に流行っていたのがStingの “Englishman in New York"。この曲が収録されたアルバム“…Nothing Like The Sun"が大好きでしたー!同級生の女の子がStingファンでね。教えてもらったんです。
ということで、安全地帯が参考にしたPOLICEのStingのルート、私もちゃんと通っていました。
あの頃のStingも怖いものなしというか…。
イケメンだし音楽的才能はすごいし、とにかく売れてるし、俳優もやるし、でしたよね。
Stingを好きになったことから、洋楽のロックももっと聴くようになったし、いっそこのアルバムはJazzっぽい音作りもしていて、その後20代でJazzを聴くようになる素養を育ててもらった気がします。
安全地帯に話を戻しますが、ギターのアレンジはサザンロックもしくはウエストコーストの影響が本当に強く感じられます。
ところどころ「ファンキー」なんですよね。そういうテイスト、安全地帯の音楽からは随所に感じるんです。
そして、後から調べると、歌詞に出てくる「俺とお前」という言い回しは、安全地帯初期メンバーで、ギター武沢さんのお兄さん、作詞を担当していた俊也さんの作る歌詞の名残があるみたいでした。
ファーストシングル「萌葱色のスナップ」
以下、いずれもWikipediaからの引用です。
「萠黄色のスナップ」(もえぎいろのスナップ)は、日本のロックバンドである安全地帯の楽曲。
1982年2月25日にKitty Recordsから1枚目のシングルとしてリリースされた。作詞は安全地帯および崎 南海子、作曲は玉置浩二、編曲は安全地帯および星勝、プロデューサーは星が担当している。井上陽水のバックバンドとして全国ツアーを行っていた同バンドのメジャー・デビュー第1作目の曲であり、アマチュア時代のレパートリーの中から厳選する形でリリースされる事となった。
オリコンチャートなどのランキングにはランクインせず、また1枚目のアルバム『安全地帯I Remember to Remember』(1983年)には未収録となり、2作目のベストアルバム『安全地帯ベスト2 〜ひとりぼっちのエール〜』(1993年)にてアルバム初収録となった。
作詞のクレジットは公式には安全地帯、崎 南海子とされているが、正確には元メンバーの武沢俊也(1956年12月1日 – )によるものである。ただ、メジャー・デビューに当たり、武沢俊也は自身が作った歌詞がプロの作詞家(本曲では崎 南海子。なお、崎は作詞家ではなく詩人、放送作家)により手直しされたことでスランプとなりプロとして活動していく自信を失ってしまい、のちの脱退(1981年3月)に繋がったと後年語っている。
KINGが一番影響を受けたのが武沢さんのお兄さんだったということは、以前から知っていました。
安全地帯の初期メンバーで、バンドの要だったお兄さんの自信を打ち砕くプロの世界の厳しさ。過酷ですね。
私は音楽に関してはただのファンなので、アーティストの繊細な心持ち、本当のところは分かりません。
ですが仕事としてこれを「自分ごと」と捉えたとして。
デザイナーとしての自負。
Web制作者としての経験値。
それらをいろんな批判や大人の総合的判断で潰される…、ことの「キツさ」「辛さ」は容易に想像できます。
改変や改修。結果を出すためにはプロの世界では、ある意味よくあることです。若い頃のそれは、特にクリエイターにとって、とても酷な経験だったでしょう。ちょっと切ない逸話です。

ここから…。安全地帯はどんどん変化していくんですね。
ファーストアルバムは確かに「若い!」(特に若KINGの声がとっても高い!)のですが、サウンド的には完成されたものを感じます。今聴いても古臭くない音作りが、すごいですよね…!
引き続き研究を重ねてまいります。
NEXT►【エピソード14】アルバムレビュー『青春の記憶』ALFIE(THE ALFEE)
次回は、アルフィーさんのファーストアルバムについて研究を深めます。
