震災6年、3月11日に戻る原点

震災6年、3月11日に戻る原点

本日は3月11日です。

東日本大震災から6年がたちました。

まだ助けを必要としている人たちは
たくさんいるようです。
時の流れとともに
被災地や「あの時」を想う機会が
減りつつあります。

これも現実ですが、

2017年3月11日の今、
「あと時」私に起こったことをお伝えしたいと思います。

 

自宅に帰れないとわかった瞬間に、自分の怠慢さを知った

6年前の3月11日。
私は、某一般社団協会さんの
Webチームの一員として
協会で管理する全Webサイトの
デザインと管理を
請け負っていた、
渋谷にあるビルにいました。

 

すでにフリーランスの
クリエイターとして
独立していましたが、
週3回、業務請負としてそちらの
協会に足を運び、
他Webチームメンバー
6人と協力しあい、
忙しい協会事業での集客や
顧客管理を担うWebサイトを
運営していました。
渋谷・道玄坂にある
耐震構造の新しいビルの12階で、
衝撃を吸収するために
大きな揺れがさらに大きく感じられ、
船酔いのような感覚に襲われました。
船酔い状態の私は
顔面蒼白になっていたそうです。

 

これはただ船酔いで
青白くなったのではなく、
「まずい」と心の底から
思っていたのでした。

 

17歳のときから私に必要なもの

地震の影響で、東京の交通も大パニック。
片道1時間かかる立川市までは、
歩いて帰る他ありませんでしたが、
会社のご好意で、一晩社員さんたち全員泊まることに
なりました。

 

ネット回線は通じており、
東北でのものすごい状況の映像を
リアルタイムで観ていました。
何が起こっているのか、まったく理解できませんでした。

 

 

時間はかかりましたが、
私はなんとか家族の無事を確認することもできました。

ただ、
本当に今日1日で帰れるのかどうかもわからないし、
いつまで会社に閉じこもっていられるのかも
わからない状況でした。
というのも。
私は内臓疾患があり、
朝、昼、夕、寝る前と
薬を投与する必要があるのですが、
寝る前と朝に投与する薬を
自宅に帰れると思っていたため
持ってきていなかったのです。
その薬が手に入らないとなると、
長い目で見ても
私は命の継続に
問題が出てしまいます。

 

シゴトをしたいから命を続けたい

一番頭によぎったのは、
今受けているシゴトが
できなくなってしまう・・・!という
恐れでした。

 

出向していた一般社団協会の他にも、
私は当時、複数のクライアントを抱えていました。

 

お客様の顔ばかり頭に浮かんできました。

自分が動けなくなってしまったら
シゴトなんてできませんよね。

 

シゴトをつづけるために、
私は自分の命の保証がほしかったのです。
そのために、薬を手に入れたなければ!と考えました。

たった1日の話で、、、とあとから考えれば思いますが、
当時はこの動けない状況がいつまで続くか、のほうが恐ろしかったのです。

 

普通の内科や
簡易なクリニックでは
おいていないこともある
特別な薬のため、
総合病院か救急病院に
行く必要がありました。

 

渋谷・道玄坂から
一番近い総合および救急病院は
日本赤十字病院でした。
同僚の妊娠している方が通っており、
その存在を知りました。
渋谷の街は
歩いて自宅を目指す人の群れで
ごった返していました。
そんな中、女性一人で
病院に向かうのは
無謀すぎるということで、
同じ部署の同僚の男性に、
一緒にいっていただくことに。
本当にありがたかったです。
身長190cmもある男性なので、
人の群れの中を歩いて行くとき
心強かったです。
病院には、片道40分かかりました。
病院は初診だったし、
私が必要としている薬は、
健常な人に投与すると
危険な薬。

 

自分が患者と証明できるものも
一切持っていなかったので、
なかなか信用して
もらえませんでした。

 

なんとか病歴20年であるということ
(今はもう25年超えました・・・)
最悪採血してもらえれば、
その病気であることが
わかることなどを必死で伝え、
診てもらうことができました。

 

その必死な私の形相をみて、
同行してくれた同僚の男性は、
「あのときはじめてカイエダさんは
持病があるんだって思った」と
言っていました^^
そのくらい、普段は元気いっぱい
なんです。なぜなら自己管理
してますから〜(^▽^)

 

通常のことでしたら
誰よりもへこたれないくらい
丈夫です。

 

日常に危機感を

日常暮らしていると、途端に自分が健常ではないことを忘れます。

 

ですが、常に頭の片隅には
自分を冷静に俯瞰できていないと
怠慢さが露呈しますよね。
それは、たとえあなたが、
病気を抱えていないとしても
同じこと。

 

喉元過ぎれば熱さ忘れる、とは
よく言ったもので、

震災を過去の思い出に
してしまってはいませんか?

 

 

私自身は震災後、
自分の健康さえ
最低限維持できれば、
他の人に迷惑もかからないし、
お年寄りや、メンタルで
パニックを起こしてしまった人、
そして小さい子の救助にも
あたれると思いました。
自分で対処できるのであれば、
常日頃から緊急対応できるように
しておくべきだと、心に決め、
震災以来、
薬はすべて持ち歩くように
しています。>荷物多いです。

最低限の心がけですけどね。

 

そしてこの震災をきっかけに、
デザインデータやお客様から
お預かりしているデータ類は、
自分のパソコンに保存するのではなく、
有料でネット上に場所を借り、
セキュリティも万全にしたうえで
クラウドで管理するようにしました。

 

クラウドとは直訳すると
「雲」ですが、
インターネット用語です。

わかりやすく言うと、
ネット上に
荷物をしまっておける場所を
私は確保した、ということです。

 

今となっては、クラウド利用は
当たり前かもしれませんが、
まだ6年前は、周りでも
実践している人は
意外といなかったです。

 

パソコンやスマホなどは、
壊れる可能性もありますが、
クラウドに情報を入れておけば、
シゴトは再開できるからです(^^)

 

震災と同等に扱う内容ではないかもしれませんが、
セミナーに行ったり個別相談に行って、
アドバイスをもらっても
すぐに行動に移せなかったとしたら、
ただただ、他にもセミナーに行ったり
個別相談に行ったりを
繰り返すだけで、満たされないはずです。

 

誰に相談しようが、
いいアドバイス、悪いアドバイスをもらおうが、
行動するかしないかは
あなた自身が決めることです。

 

経験を、学びと実践に
切り替えてみませんか?

 

 

このお話をするのは
少しプライベートな内容も
入っているため、
どうしようかと迷いましたが、
2011年3月11日は、
私にとっては忘れられない日
ということで、
参考になることがあれば、と
書かせていただきました。

 

本当に被災された方々からしたら、
私の経験なんて、
たいしたことはないかもしれません。
ですが「喉元過ぎれば熱さ忘れる」状況は、
いつだって起こり得るし、油断は禁物なのです。

 

 

まずは、
あなたが心身ともに元気でないと、
家族やお客様を元気にしたり
幸せにすることは、できないです。

自分に何ができるのか、を
考えることすらできません。

 

 

自分のことをまず、守ってください。

 

そしていたわって、感謝してあげてくださいね。

 

 

 

命があり、
私があなたにメッセージや
ブログ集客のノウハウなどを
お送りできること。

 

この「有難さ」を、
かみしめています。

 

 

おもてなしブログ専門家
カイエダ ミエ

 

 

 

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3ヶ月であなたのブログを24時間働く営業マンにする「おもてなしブログ専門家」ビジネスデザイン・コンサルタント。2001年よりWeb制作の道に入り、デザイナー、ディレクターを経験したのち、2007年に独立。現在はブログを軸とした集客からの売上アップを得意とする、デザインも手がけるコンサルタント。 お客様のペルソナのニーズを先取りし「デザインはおもてなしである」をコンセプトにサイト構築を手がける。 自らのブログも含め、構築してきたブログ/Webサイトは300件以上。お客様の不安やお悩みを解決するブログで、ブログ読者様を「おもてなし」することを推奨し、どうすればクライアントのビジネスにおいて、確実に集客できて売上アップにつながるのかを日々実践・探求し情報を発信している。